代替馬アルアインシチー 引退


美浦の坂路で見せた4F49秒台の脚力は非凡な能力を示すも、

レースではいいところなしのまま引退。

しかし、ある程度期待させてくれたし、

代替馬としての働きは十分だった。

代替専用馬の為、以降の代替馬は出ず、これでアドリアシチーから始まった25200円の権利は消失。

全4頭で35戦。全て未勝利で最高着は3着。

良く負け続けたものだ(笑)。

アルアインシチー、お疲れ様でした。

(2009年9月7日作成)

2009年9月7日作成

●2009年9月7日現在、クラブからの引退発表はないものの、もう抹消されてまっせ

 2009年9月7日現在、いつものようにクラブHPでの引退発表はないものの、JRAから登録抹消されています。友駿ホースクラブの情報の遅さにはウンザリですが、引退です。

●十分に楽しみました

 元々期待の愛馬アドリアシチーの代替のマドリードシチーの代替のギムレットシチーの代替でいただいたアルアインシチー。

 アドリアシチーはまだ私が1口馬主を初めてまもない頃、安価で3勝出来ればいいなと思って購入した馬で、未勝利戦で3着2回と、もう少しで勝ち上がりというところで左後脚種子骨骨折を発症し能力喪失で引退しました。
 しかし、その下のノワールシチーが1000万クラスを突破したことからも能力は確かで、自分の見る目は間違えていなかったと自負しています。

 その代替馬としていただいたのが募集馬で売れ残っていたマドリードシチーで、こちらは厩舎事情であまり仕上げられることもなく、地方競馬並みの頻度で使われ、能力を出し切れずに10戦で引退しました。

 その代替馬としてアクトレスシチーが送られて来たのですが、私は当時ダービーを制覇して圧倒的な強さを誇ったウオッカの父タニノギムレットの産駒が欲しいこともあり、同じくマドリードシチーの代替馬として配布されていたタニノギムレット産駒のギムレットシチーに無理を言って変更していただきました。

 そのギムレットシチーは馬場に泣かされ、枠に泣かされ、これまた最高3着で引退。その代替馬として巡ってきたのがこの代替専用馬であるアルアインシチーです。

 ですから、私が無理を言ってアクトレスシチーからギムレットシチーに変更して貰わなければアルアインシチーとの出会いはありません。


 アルアインシチーは新馬戦で4着と予想以上の走りを見せ、2戦目は優先権を持って蛯名正義騎手で勝負しますが、9着大敗。競馬ブックのスピード指数や走破時計を見ても初戦の内容はメンバーが弱かったとしか言いようのないレースで、その後それを裏付けるように凡走を繰り返します。

 しかし、調教では美浦の坂路で4ハロン49秒台を出すなど非凡なところを見せ、芝の直線競馬でも最速の上がりで不利を受けながらも7着に食い込みます。ここでも不利がなければ掲示板という内容ではあるものの、走破時計は平凡で、上がりも最速とはいえ直線競馬では遅い33秒4でした。

 最終戦となった芝の直線競馬でも33秒5の上がりを繰り出しますが、他の上位馬は32秒台で全く見どころもなく13着に敗退。結局1度として未勝利優勝ラインの内容に到達することなくアッサリと引退が決定しました。


 アルアインシチーは代替専用馬ですので、もう代替はありません。

 しかし、アドリアシチーの25200円の出資から足かけ4年。毎年コンスタントに何かが走り続け楽しませてもらいました。全35戦、価値ある25200円でした。

 ありがとう、アドリアシチー、アルアインシチー!!

これを持ちまして、2008年11月7日から追いかけ続けた愛馬アルアインシチーの特集は終了させていただきます。

最後までご愛読ありがとうございました

2009年9月7日作成

アルアインシチーの過去の特集をご覧になりたい方はこちら

第6戦 2009年 8月30日 3歳未勝利 新潟芝直1000m (13着/11番人気)

第5戦 2009年 5月16日 3歳未勝利 新潟芝直1000m (7着/14番人気)

第4戦 2009年 4月 4日 3歳未勝利 中山ダ1800m (12着/8番人気) 特集組まず

第3戦 2009年 2月28日 3歳未勝利 中山ダ1200m (9着/7番人気)

第2戦 2009年 2月 7日 3歳未勝利 東京ダ1400m (9着/3番人気)

初出走 2009年 1月25日 3歳新馬 中山ダ1200m (4着/12番人気)

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